「うわっ、こいつクズだなあ」
ですがその人がその後どんな人生を送っていくか少し気になりませんか?
教師時代に更衣室を盗撮して行方をくらませた元教師権藤(川瀬陽太)は教え子と再会した。
ついつい見入ってしまうクズ人間たち
映画「ローリング」は権藤の恋人と権藤が10年前に撮影した盗撮動画をめぐった水戸の街での物語である。
権藤は初っ端から元教え子貫一(三浦貴大)に恋人を奪われる。
この映画に出てくる人物は大体がクズ人間だ。口先だけの反省を述べる権藤、権藤の盗撮動画を使ってひと儲けしようと考える元教え子たち、ひと儲けした権藤に対してソーラーパネルを売りつけようとする自称弁護士など、自分の生活圏内に侵入してきたら一瞬でブロックするようなひとたちばかりです。
ただただ人生を惰性で生きているものたち、参考になるようなことは何もないはずなのにこの人たちの結末が気になりついつい見入ってしまう映画です。
クズに対する高みの見物をするまともな人々
人間不思議なもので自分はクズ人間になりたくない、関係ない、と思っているくせにクズ人間に見とれてしまうものです。この映画だっておそらく今後の人生に参考になりそうな要素は一つもない。ここで見るのをやめることもできる。なのに気になるのです。実際にそういうダメな人間がいたらほっとけなくなり、手を差し伸べる人もいるでしょう。
不思議なものです。。。
自分はクズでないからと高みの見物をしているのでしょうか?
それとも変に常識がありクズ人間になりきれない彼らへの憧れがあるのでしょうか?
ありのまま、欲望のままに生きている彼らの最後を見届けたいのでしょうか?
今の自分の今の生き方を肯定したいのでしょうか?
まともとクズなど紙一重です。彼らクズ人間から見れば嫌な仕事を日々こなし、やりたいこともできず、しかし自分のことをまともだと思っている我々こそクズなのかもしれません。見方や状況、環境によってその定義などいくらでも変わりうるのです。
最後に映画の中で元教え子が先生に向かって言った言葉を
先生もやりたいようにやればいいんじゃないですかね