紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

個人を犠牲にして自分が利益を上げるということ

最近知人のブログを見つけた。かなり広告を張り付けており、個人の名前を出して様々なジャンルの記事を書いていた。興味深く読んでいるとたまたま見つけた記事で「もう時効だと思うから書きます」から始まるある出来事の真相を告白した記事があった。

 

別に知らない人が見れば大した内容ではなく、よくある話だ。学校でのいじめのようなものだと思ってもらえればいい。ブログを書いている人は加害者側である。

私はそのブログの登場人物ではなかったが、記事に出てくる被害者は知っている人で思い返せば当時はかなり苦しみを抱えていたような気がする。私はただの傍観者で何も言う筋合いはないのだが、もし私が被害者だったら少なくとも時効だと言われてその時の事実を弁明するような記事を人に読ませようとするのは許さないだろう。

 

私は昔ブログというのはアメーバブログmixiの日記のように個人が特定されていてその日あった出来事などをつづり、知人やファンが見て楽しむというものだと考えていた。その役割は現在フェイスブックやインスタグラムに置き換えられているだろうか。

 

それだと自分や見ている知人に不都合なことは書けないしわざわざ不都合なことを書く必要もない。インターネットである以上自分の書いた言葉や他人の書いた言葉で誰かが傷ついてしまうことはあるのは仕方がない。今回はたまたま自分が見つけてしまったが個人ブログであるがゆえに有名人でもないのに勝手に書かれて傷つく。

 

 

まだ個人としてネット上で攻撃されたことがない私にはこんなことで不愉快な思いをしてしまう。まだまだ考えが甘いのだろうが特定の個人を犠牲にして自分が利益を上げる。そんなことはこの社会では当たり前なのかもしれない。