紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

自分しか見ない日記と誰かに読まれる可能性があるブログの違い

人に見せる前提で文章を書いていないと文章力が落ちて行く一方である、というお話。
 

客観的にみられない自分の文章

久しぶりに仕事で社外の人に向けてワードで文章を作成する機会があった。上司に見せると修正の嵐。。
実験の前提条件が書いていない、この説明では専門知識のない人が分からない、何を伝えたいのか分からない。
 
普段は社内向けの資料しか作らないエンジニアの私。しかも文章で作成するのではなくパワーポイントの資料がほとんどだ。
パワーポイントは文章をほとんど書かないし図やグラフをふんだんに使って説明できる。さらに資料の出来が悪くても口頭で補足ができる。
人に見せる資料ではあるが、そんなに本気を出して作成しているわけではないというのが正直なところ、発表の1時間前に急いで作成して誤植だらけでもごまかせるのが実態だ。
そういう体質の部署なのだろう。。社内向けの時は上司も目をつむっているようだ。
 
しかし社外向け、しかも専門知識がない人に向けて、だと話は違う。
対外的に話す機会が多い上司などはそこら辺をわきまえ、「この文章は何を伝えたいの?」としきりに修正を要求してくる。
ビジネス文書を作成するなんていう経験がまるでないのでこの修正作業は難航しそうだ。。
 

伝え方の極意

それは相手に合わせて伝え方を工夫するということだろう。
家電量販店に行って製品の説明を求めれば販売員は説明をしてくれる。相手が家電オタクか家電に疎い人かで説明方法を変えるのは当たり前のことだろう。
営業の仕事もそう。保険に詳しそうな人にはさっさと「こいつには売れないな」と見切りをつけて次に行き、知識のなさそうな人には必死にメリットを説明して何とか売り込もうとするだろう。
Youtuberだってどんな視聴者をターゲットにするかによって動画の構成、説明方法、演出方法まで自在に変えるはずだ。
 

誰かに読まれることを意識して書く文章

あんな本、こんな本では短くてもいいからアウトプットしようと書いてある。
そして人に見られることを意識して文章を書こう、と書いてある。
 
 
私は人に見せるためにいちいち文章を推敲したり、整形したりするのがめんどくさくてあまりブログという形では発信していない、ツイートだってあまりしていない。
日記はEvernoteに毎日欠かさず書いているにも関わらずだ。
このブログのように一日のブログアクセス数が20程度だとしてもブログに書くとなると、文章をちゃんと書こうと意識せざる負えない。
 
別に今書いているこの文章はうまく書けているわけではない、しかし日記に書く文章とは全然違う。
端的に言えば第三者に向けて文章を書いている。
個人名は使えない、略語も使えない、ただの日記ぽくしてもいいが何よりも自分が中身のない(と少なくとも自負している)文章を対外的に向けて発信はしたくない
 
そういう経験は確かに不足している、そしてなぜ上記で紹介した本が対外的に文章を書くことを勧めるのか分かった気がする。
人に伝えるための文章力は今日の仕事のようにビジネスの場面で論理的な文章を書かなければいけない場合にはもちろん使える技術でそれはもはや必須のスキルかもしれない。
ブログのように個人の体験、経験、気持ちを伝えるのでも使えることだろう(それがたとえ誰も読まない文章だとしてもネットに公開するということはそういうことだと思っている)
 
だからこそ、公開することを前提に書かれた文章はたとえ文章力が低くても精一杯伝えようとするための工夫が随所にみられることだろう。