先日文庫化された「何様」は就活を舞台に社会に出ることと何者でもない自分との折り合いをつけられない就活生を描いた作品「何者」の続編、というかアナザーストーリー。
実際数年前に読んだ「何者」の話はほとんど忘れてしまっていたけど前作に出てきた登場人物本人や関係者をそれぞれ主人公とした短編小説になっているので楽しめる。
その中の一遍「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」を読んで考えたこと。自分が日々考えていることをここまで言語化してくれる人はいるのだろうか。続きを早く読みたくて、まだそのページを読み終わっていないのにページをめくろうとしていまう。そんなお話でした。朝井リョウはなぜここまで自分の心の声を代弁してくれるのか。
自分はずっと正しく生きてきた。
他人の行動を見ているといつもそう思う。
会社の中で上司に向かって一人称で「俺」という新人。
寝坊して時間有休でごまかす人。
一番年次の低い自分に責任転嫁してくる同僚。波風を立てないように自分が謝った。
朝から居眠りしてるくせに自分より高い給料をもらうおじさん。
ゆるい会社だから仕方ないのかもしれない。営業をしているような部署でもない。
新人にいたってはその人当たりのよさから上司の人に気に入られている。
今後大した実力もないのに出世していくのだろう。
いや、その人当たりの良さこそ実力なのかもしれない。そんなことはこれからの現実でいくらでもありうることだ。
仕事以外に関しても同様だ。
「お前本当に最高だよな!」
自分は過去、この言葉を何回も言われてきた。そこにはたいてい人を馬鹿にするような言い回しが含まれている。
「本当にいいやつだよなお前は」
自分を都合よく使おうとするときによく言われる
昔は全然まじめに仕事してなくてさ。。彼らは十年たったらそう言うのだろう。
正しさは評価されない
社会人になって気づいた。ここでは正しさなど評価されない。周りに迷惑をかけ、一回周りの評価を落としてから上げた人が印象としてよく残る。
学校で習った道徳。就活で身に着けたマナー。ほとんど使ってない。
目立った人が、サボった人が得をして真面目にルールを守ってきた人が損をする。
噂には聞いていた日本の社会。自分もその一員になったのだと最近自覚する。
高校や大学の部活動のほうがまだよかった。素行が悪かろうと印象が悪かろうと実力のあるものが試合に出る。それは誰もが納得できるものであった。
ここまで自分の話を書いてきたが、小説本編に出てくる桑原正美にも同じ雰囲気を感じた。ここまで共感できた小説は久々だ。
たくさんの人に迷惑をかけてきた、あのひたすらむしゃくしゃしていた時間があったからこそ、伝えられることがある。
そんなの嘘だ。嘘に決まっている。だけど、それが本当に嘘なのかどうか、今のままの私ではわからない。
「何様」p.313(新潮文庫)
私も今、むしゃくしゃしている。
誰にも相談できないこの気持ち。そもそも何を相談するのだろう。これはただ本の感想を書いているだけで別に俺が何かに悩んでいるわけではない、あえて言うならただむしゃくしゃしているだけだ。
そして自分自身も、一度でいいから誰かを思いきり傷つけてやりたい、迷惑をかけてやりたい。それは小学生の時に好奇心から消火器を噴射して親を悲しませた時とはまた違う。
あの時は悪いことをしているなんて実感はなかった。
今度はきちんと悪いことをしているというはっきりとした自覚をもって誰かを傷つけたい。
そうしたらこのむしゃくしゃは解消されるのだろうか、そのあとに自分も少し変わることができるのだろうか。