この本を購入したのはいつだろうか?まだ私がDinks婚活をしていたころだろうか?
Dinksとは切っても切れない反出生主義
(Dinksを自称する人は自分が反出生主義かどうか書いている人が多い)
私も友人の誰かが子供を産んだ、子供ができたと報告する度、私は反出生主義について調べるようになっていた。
別に自分の反出生主義かを確認したいとかそういう意図はないのだが、LINEなどで「おめでとう」とは言いつつ、調べている。おそらくその時に知った小説だろう。
昨日、まさか600ページ越えの小説を1日で読み切るとは思ってもいなかった。それだけ衝撃的な作品だったということだ。感想と考えたことを述べていきたいと思う。
第一部は誰のために?
最後まで読んで考えたのだが第一部は何だったのだろうかと思う。
姉の巻子が補胸手術をやると突拍子もないことを言い出す、ということに対して読者の多くもそれはおかしいと思ったはずだ。
ましてや9歳の娘、桜子(主人公、夏子の姪っ子)はそのおかしい母に対して口もきかない始末。
第二部ではメインの話である妹の夏子が精子提供により自分の子供を産む、と言い出すんだがこれも考えてみればおかしな話だ。
実際登場人物たちは最初夏子に対して「それはおかしいだろう」というようなことを言い出している。
一方で一読者である私はどうだっただろうか?
本の裏表紙を見れば夏子が子供を産んでみたくなる、と書いてあるわけで夏子のそういった感情や行動には意外と違和感を持たなかった。
少し話はそれるが先日もNHKのクローズアップ現代にて精子提供によって生まれた人を特集した回があったらしい。
私の周りだって年齢が年齢ということもあって不妊治療をして子供を授かった、もしくは現在進行形で不妊治療をしている、という人は一人や二人どころの話ではない。。
そこまでして子供を産みたい人がいることは分かる、だがそこまでして補胸手術をする人がいることは分からない。
そういった対比の構造になっているのではないかなと考えた。
AID(精子提供)という医療
この本も2019年ということで比較的新しい。
現代社会ではDinks、同性婚、出生前診断、養子、里親、不妊治療、高齢出産、無痛分娩、代理母、デザイナーベイビー(これは無しか。)、なんでもありな時代だ。
30年前には考えられなかったことだろう。
相手がいない、お金がないなどの事情ももちろんあるが女性にとっては子供を産むも産まないも本人の自由だ。一方で男性は女性がいなければ子供を産むことができない、そこに自由はない。
産むとなった場合もその選択肢は上記にあげたように多様だ。
(出産について調べたこともない私でもこんなに出てくるのだからもっと多くの選択肢があるのかもしれない)
善百合子という悪魔、あるいは自分は善百合子なのか
この本に出てくる女性の中でもかなりの重要人物であろう。精子提供によって生まれてきた女性、善百合子である。
その善百合子が精子提供を考える夏子と対話するシーンはかなり自分の中で盛り上がる。
少しでも反出生主義をかじったことのある人ならばこの善百合子の主張はよく分かるかもしれない。私自身は反出生主義ではないものの、物語の中で精子提供を考える夏子に放つ善百合子の言葉一つ一つが重く、私にとっては共感を生むものであった。
善という名前の割にとんでもない悪魔だなと。。
子供を産むことを
「自分は絶対に失敗しないと思い込んでいる人たちによる賭けに挑むこと」
と表現しているあたりが昨年話題になった親ガチャ、あるいは子ガチャと重なる部分がある。
「一度生まれたら、生まれなかったことにはできないのにね」p.523より
この言葉には深く共感できる。私はよく子供を産むことを投資に例えて
「上がるか下がるか分からないけれども、絶対に損切りできず信用取引をして2000万円で買わなければいけない株」
と表現する(聞いた人にはドン引きされる)
だが事実損切りはできないのだ。産んでしまったら最後、親は子供を育てる義務が発生する。
株であればこんな株を買う人はごく少数なのに子供はみんな産みたがる。
気持ちは分からないこともないけれども。
「忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います」p.631より
忘れるとは女性としての自分がこの子供を産める体を使い切る、そしてわが子を産む、ということに相当するのだろう。
夏子だって自分がやっていることが間違いだと半分認めているのだ。ましてや普通の夫婦として子供を産むのではなく、精子提供を受けて女手一つで子供を育てるというのだ。
間違いかもしれないと認めつつも結局は子供を産む決断をする夏子。
これはもうコスパとか投資とか、そういう世界の話をしているのではない。どちらかと言うと宗教とか価値観とかそういった類の話だ。私が投資に例えて受け入れられない理由はここにある。
多様性か分断か
2022年の出生数は80万人を割った。想定より11年も早いそうだ。
今後もこの流れは加速していくだろう。それだけ子供を持つことが難しくなっている時代なのは言うまでもない。
私だって年収が今の倍あって専業主婦か家政婦やらが家事を何でもやってくれるのであれば子供は欲しい。
だが現時点でそれが叶う見通しはないし実現しようと努力しようとも思わない。
そういった割り切った人たちがいる一方で、私よりはるかに貧乏でもどんなに生活が苦しくなろうと子供を育てたいと思う人々もいる。我々はこの世界で共存していかなくてはならない。
この違いが多様性として世間に認識されればよいが、分断となってしまうとどちらも生きづらくなるのは間違いない。
夏子が無事に子供を産めたのは分断しそうになりながらも周りがその価値観を認めサポートしたからだ。
多様な人たちの多様な価値観を認めつつ私は私で自分の主張を一貫性を持って貫ける人でありたいなと思えるような作品でした。