紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

結婚式に疲弊、自分だけの楽しみもきっとある

 
 
友人の結婚式に参加してきました。
関西ー東京への移動は疲れる(GWの混雑にも巻き込まれるし。。)
 
最近は本当に結婚式が多い。3か月に1回くらいあるんじゃないか?私の中では非常に多いペース、来月もあるし。。
 
今までは単純に友人の結婚する姿を見て単純に「幸せそうだなあ」とか「おめでとう!」という気持ちになっていたが今回はなんだか疲れてしまった。
 

結婚式に対するスタンスの移り変わり

結論から言うと疲れと焦りから心から楽しむことはちょっと難しかった。
自分自身の疲れと焦りからいい状態で臨むことができなかったからかな?ちょっと反省
 
体力的な疲れ
休日朝早くから新幹線に乗り結婚式、披露宴の参加。GWの人ごみの中移動するのはなかなか大変だ。
20代の頃と比較して体力は明らかに落ちている気がする
 
酒の疲れ
酒の耐性も20代より落ちている。明らかに量が飲めなくなったし、飲んでもすぐ酔うようになってしまった。
 
焦り
今までは焦ることなんてなかったが最近はいろいろ揺れていた。
ちょうどこの2,3日前にSNSにてTwitterの激しいTLや白饅頭の記事を一気読みしたことによりかなり心情的にも疲れていた。
気持ちを落ち着けようと深夜にブログを書いたほどだ。
 
婚活、マッチングアプリをすべて辞めて1年以上、私も揺れ動き始めたのかもしれない。
 
 
結婚式という名の異質な空間
結婚式という場ほど「結婚」という行事を肯定するものもないだろう。
私は結婚式において親戚の子供が新郎新婦が並んでいる所に指輪とか花を持っていくシーンがどうしても好きになれない。
普段「独身でいい」とか「子供はいらない」なんて言っている自分のすべてが否定されている気持ちになるからだ。
全然知らない他人に対してならいくらでも言えるが出席しているのは知人の結婚式だ。
友人を祝いたいという気持ちもありながら、私自身が結婚したくないという思いと相まってなんとも複雑な気持ちになり、それが異常に疲れる。
 
自分の生き方の軸を持てずにいる焦り
共通の友人の結婚式に何回も出席すれば、必然的に結婚していない私は少数派になっていく。
私は「婚活はやめる」「子供は欲しくない」などと言ってはいるものの、それに代わる何かを見つけ出せてはいない。
それは「生き方の軸」、「志」、「Vision」、といったものであったり、あるいは「一生を捧げる趣味」「365日寝食を忘れて打ち込める仕事」といったものかもしれない。
 
何者かになれない人が大多数の世の中だからこそ、夫婦2人で支え合ったり、誰かの親になることが大切な世の中なのだ。
 
それにより生きている実感を得ている人は多いと思う。
今回の結婚式は自分自身の価値観を確立できていない中で、いわば他人の「結婚は素晴らしい」という価値観を押し付けられる形になっているのだ。
これを払しょくするには自分はこう生きる、という価値観の確立が大切になっていく。ここは急ぎ課題としていきたい。
 

流されて生きて幸せになれるほど甘い世の中ではない、が絶望でもない

20代のころは周りに流されてノリで生きていればなんとなく楽しかったのかもしれない。
だが徐々に自分の周りでも自らの価値観を持って人生の選択を行う人が出てくる。
 
自分が人生において何を大切にするのか、何に幸福を感じるのか、そういったことを自分で考えていかないと他人に流されて消耗していく人生になっていくだろう。
このようなことは自己啓発本にはいくらでも書いてあるが、いざ自分の身に降りかからないと実感しないもんなんだな。新しい発見ができてよかった。
 
流されて生きて幸せになれるほど甘くはないが、流されなければ絶望するほどつまらない人生でもないはずだ。
友人の結婚式を心から祝うためにはまず自分自身が楽しい人生を生きることが大事。
自分だけの楽しみを見つけていきたいね。