紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

10年前、私はセンター試験を受けていた

今日はセンター試験
思えばセンター試験を受けたのは10年前(浪人したので11年前にも受けた)。
懐かしい。。あの頃は今自分がこんな生活をしているなんて想像もしていなかったな。
 
とは言いつつも浪人時代だって10年後の生活のビジョンなど一ミリもなかったけど。
 
予備校で受け取ったセンター試験の受験票には受験会場が「東京大学」と記されていた。自分は東京大学が志望校ではなかったのでセンター試験を受けに日本一の大学に行けるということで心躍ったのを覚えている。
 
あの頃、受験を頑張ることができたのはなぜだろうか。志望校合格という目標があったからだろうか?
 
浪人時代の心の癒しとしてAKB48が大好きだった私は同年代で頑張っている彼女たちはとても励みになったのを覚えている。2次試験前にどうしても勉強に身が入らないときに見たこの映画は他のどんなフィクション映画よりも感動した。
 

これからの10年を迎えるにあたっての幸せを考える

まだ何者にもなれる可能性があったあの頃はただがむしゃらに頑張っていてよかったと思う。
しかしなんだかよく分からないけど成功するために頑張るという時代はこれから30代を迎えるにあたってあまり適切ではない気がする。
それよりも自分にとっての成功とは何か、幸せとは何か、をよく考える方が大事だろう。
 
ひと昔前であれば特にそんなことを意識しなくてもいわゆる成功は多くの人が手にしていたものかもしれない。
いい大学へ行って、いい会社へ入る。そして結婚、出産、マイホーム。
親世代はこういう人たちが非常に多い。
 
自分は29歳、30歳を前にして成功しているかと言えば全然そんな実感はない。
確かにいい大学といい会社には入ったかもしれない。
いい会社と言っても今はいつ何が起こるかも分からない時代。表向きはホワイトでも成果へのプレッシャー、ハラスメントや休職者の発生は日常茶飯事だ、安心などしていられない。
 
私で言えば次のステップは結婚、出産、マイホームだろうか。。
婚活は諦めてしまったのでもうないか。。笑
 
仮に結婚、出産があったとして、ある程度幸福度は上がりそうな気はする。
しかしながら子供ができてプライベートな時間を全く持てない友人
マイホームを購入し仕事を辞めることに躊躇してしまう知人
大企業共働きでも苦しい家計
そんな話を日々聞いているのできっと辛い日々がまっているのだろう。。。
思えば親も子供には言わないだけでかなり節約していたのかもしれない。
 

背負わないと手に入らない幸せ

そう思うとひと昔前の幸せは会社へ入った後は何かを背負うことでしか手に入らないものだったのかもしれない。
もちろん私だって責任をもって仕事をしているが、仕事だけならまだしも家族やローンなど、2重3重の責任を持つことは並大抵の覚悟ではないだろう。
 
背負わない幸せを模索する必要がある。
 
背負わないことは気軽で金銭的負担が少なく自由が多い。
だけど子供を育てる喜びや家族で生活を共にするという幸せを感じることができない。
 
だからこそ、これからの時代の独身者は違う形で幸せを自らの責任で模索しに行かないといけない。
 
もちろん仕事にフルコミットして大きな成果を残すのもいいだろう。
私も仕事ももちろん頑張るが、仕事以外での居場所も必要だと思っている。
 
すぐに思い浮かぶものは遊びや趣味だが
・すぐに手に入るものはすぐに飽きる。
・誰でもできることでは幸福を感じづらい。
・消費では幸福を感じづらい。
 
ひろゆきもどこかの本で同じニュアンスのことを言っていた。確かこの本。

 

無敵の思考

無敵の思考

Amazon

 

 
 
スマホゲームや衝動買いを繰り返しても幸せになれない理由がここにあるのではないかと思う。
 
重要なのは自分の中の哲学だ
何でこのゲームを始めたのか、どこが面白いのか、どこがつまらないのか、人に勧めるとしたらどうやって勧めるか、そうやって同じ消費の中でも自分オリジナルの物語を作っていくことで日常を楽しむことができる。
料理とか音楽とか自分で作る、生産する、実践する、系の取り組みが楽しくなってきそう。
ブログだってもちろん生産的な活動に他ならないのでこれからもぜひ続けていきたいですね。