紫色のつぶやき

どうせそんな悩みは1年後にはどうでもよくなってる

"認識合わせ"し過ぎ問題~伝える力を身に着けよう~

"認識合わせ"をさせてください"こんなメールが普段から飛び交っている。
わざわざ"認識合わせ"という題名の会議まで開かれることもある。

認識合わせの認識

認識を合わせる内容は多岐にわたる。
お客さんに出す資料はこれでよいかといった直近の課題から、このプロジェクトの最終的なゴールはどこか、数年先を見据えた長期的なゴールに向けて今こういうことに取り組みたい、といったものまで実に様々だ。。

そりゃあ立場や役職、顧客は誰(社内向けの部署か社外向けの部署か)などで前提が違うから認識違いはよく起こる。

認識合わせを多用するのはあくまで社内だけの話だ。社外の人と認識合わせをするための会議をすることなんてめったにない。。

なぜこんなに認識合わせが発生するのだろうか?理由はいくつか考えられる。

「認識合わせ」が発生する理由

情報を発信する側の問題

メールや資料の文面に不備がある
社内に向けて展開するメールや文書はいちいち上司の許可を取ったりはしない。それゆえメールの文面や資料の細部が適当になってしまうことはよくある。

意図が伝わらない

しょせんは製造業の末端の一社員、プレゼンテーションを生業としていないがために意図をきちんと伝え能力が不足していると考えられる。もちろんそれができる優秀な社員もいる。

我々はコンサルタントのようにパワーポイントやプレゼンテーションに命を懸けることはしないしできない(偏見か笑?)

逆に言えば客先や上司から資料内容やプレゼンテーションの仕方そのものに対して怒られることは少ない。そのためいつまでたっても意図を相手に伝えることができない、という悪循環に陥っている可能性もある。

情報を受け取る側の問題

社内だから気軽に聞ける、後輩・部下だから気軽に聞ける、自分で理解したり、調べたりするのがめんどくさいから聞いたほうが早い。など受け取る側にも問題がある可能性がある。
「~(取引先)にこんなこと聞いたら怒られますかね?」
「~(社内の怖い他部署の先輩)さんにはこんなこと聞けないよなあ。」

なんて会話は頻繁にするくせに、若手社員の私にはそんな忖度は無用で問答無用に聞いてくる。それはそれで全く何も聞かれないより喜ばしいことではあるが。

先ほど書いたように同じ社内であっても部署や客先の違いにより、言葉の定義や目指すべきゴール、そのクオリティに差があるのは当然だ。

大きなプロジェクトを他部署と一緒になって行う、ことは口で言うほど簡単ではない。
これは社会人3年間を過ごしてきて身に染みて分かっていることだ。
「認識合わせ」もその部類に入る。

プロジェクトが大きくなればなるほど、そして関わる人間が多くなればなるほど「認識合わせ」が多くなってしまうのは必然なのかもしれない。

世の「市場価値」を大事にする人間はこの手の作業を「社内政治」やら「資料作成に何時間もかける無駄な作業」と一括してしまうかもしれないが、意図したことを相手に伝えることができる能力は簡単なようで非常に難しい。
もうそれだけでいわゆる「市場価値」と言っていいだろう。

我々はどのように「認識合わせ」を防ぐべきか

「~という意図でメールを打っています」と先取りして伝える。

メールの文面になぜこのメールを打っているのか、という意図までネタバレして書いてしまう、そうすることで相手はそのメールを読むための視点が分かる。

前提知識をそろえる。

自分の中では、または自分の所属している組織の中では当たり前のことでも相手の組織では当たり前でないことは非常に多い。
前提知識や背景、目的など社内向けの資料でも時間をかけて作成する、フレームワークに則って作成する、と言うのが非常に大事になってくる。

結果的にそれが「認識合わせ」の削減につながり、結果時間の削減につながる。

伝える力を身に着ける

直にお客さんと関わることが少ない部署のため伝える力を身に着けることが難しい環境ではある。それでも相手に的確に物事を伝えるためのテクニックや本は世の中にあふれかえっている。

それほど重要な物事なのだ、逆に言えば伝えることを生業としていない職種の人が伝える力を身に着けるだけで日々の業務を楽にしたり、他の従業員に対して頭一つ抜けることは容易になりうるのではないだろうか。